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第2回日中文化交流の講演内容 (2010.01.29)

「私のイメージと見聞した中国」 抜粋
講師:二瓶文隆中央区議会議員 
 
二瓶文隆議員の経歴

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皆さん、こんばんは!地元中央区議会議員の二瓶でございます。私は下町の佃島に生まれで、中央区青年会議所の委員長の時に「わんぱく相撲」の実行委員長、中学生を集めた未来会議、青年会議所では日中友好交流を構築し今も実施している。
 
中央区議員になったのは、青年会議所の活動を通じて、中央区は隅田川、日本橋川など18.3%が水辺に囲まれた水の都で、水の都中央区を作れないかなあと仲間と一緒に活動。
 
ボランテア、NPOだけでは限界がある。誰か1人位議員になった方がいいのではないか、私が手を上げ、39歳のときに当選。中国は好きではないと紹介されましたが、「本当の保守をめざす会」の「全国地方議員の会(日本中で400名)」の超党派の会の会長代行をしている。もっと良い国日本、誇りのある日本を作っていこう。保守的な活動をしている。
 
最初の中国のイメージ
中国に初めて行ったのは、平成元年に地元区議会議員の有志30名で北京を訪問した。当時のイメージとしては、中国というと歴史の中に出てくる遣唐使とか遣隋使とか、そういう中の唐の時代、空海だとか最澄だとか、その当時は僧侶ですけれど、能力のある最先端の有識者の方々が中国に行かれて勉強して来た、という「天平の甍」という本を当時読んで、唐というところへ行ってみたいな、と思っていた。西安を訪問し、ああ、こういうところで空海さんとかいろんな方々が勉強したんだ、という実感を味わった次第です。
 
初めて行った時の思い出としては、兵馬俑の大きさ、中国の大きさというのが、すごく感じた。一方では北京のデパートとかでジュウタンなんか、色々なものを買ったりすると、中国の方は、わりと表情がない、笑顔がないなあ、というイメージでした。
 
デパートに行っても商売気がないというか、国営だからなのかわかりませんけれど、あまりサービスが良くないな、という当時はイメージがありました。
 
ただ、お料理は日本の中華料理とまた違いますけれど、豪華な中華料理の北京ダックなどを食べさせてくれて、やはり食文化というのは、たぶん国境を越えて一番住み付きのある友好にはいいのかな、と思って帰って来た次第です。
 
2回目のイメージ

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平成15年位だと思うのですが、東京都と北京の日中友好合同会議が立ち上がって、たぶん30周年か何かの時に、東京都議員団が中心になった訪中団が結成されました。
 
これは羽田から一機チャータして、北京の人民大会堂というところで晩餐会を都議会の先生とか中央区議会の先生方を含めて各区の議員の有志が集まって帰国違いで行きました。
 
その時は北京を訪問したのちには、大連に移動して、大連の町を3日間位みましたけれど、その時のイメージは、初めて行った時と中国は大分明るくなった、というか活気が出てきたな、というのをすごく感じました。
 
あと、車がたえず渋滞しているなと思いましたけれど、一番は自転車から車に変わって車の渋滞が出るようになったというのが、2回目の訪問で感じたところです。それで大連に行きまして、大連は本当に町がきれいなところだと、というのを感じた。
 
町には、たぶん毎日のように至るところにお掃除をする方が見受けられ、ああ、こうやって自分達の町をきれいにしているんだ、何時もゴミが落ちていない町にしているんだ、ということで、これは東京を含めて大都市でやらなければいけないことだなあ、ということで帰ってきまして、それを区議会の中でも発言をさせていただいた記憶が残っております。
 
私の本業は税理士で会計事務所をやっている。私の顧問先の企業が設計事務所なのですが、たまたま青年会議所の関係で中国に進出をしたいということで、上海の方に社長がいかれた経緯がありました。
 
中国の安い労働力で日本の設計の簡単な作業を向こうでさせた方が効率がいいのではないか、と彼は上海に行ったのですけれど、そんな中でその彼が社長として色々交流をしていく中で、上海市黄浦区の政府の人と知り合うことが出来たということで、そうであれば中央区の横山町が繊維産業を抱えているところですから、そういう方々と上海の方々とマッチングさせたい、という声が上がって来ました。
 
それを切っ掛けに前立石都議会議員を筆頭に、中央区と黄浦区を何らかの接点で姉妹都市に出来ないか、ということで、まずは商業ベースで交流しよう、ということになりました。
 
いま中国の方々が大量に日本に来た中で、銀座には皆さん行くんですね。銀座に行ったあと、バスに乗って秋葉原に行ってしまう。
 
本来ならば銀座から秋葉原の間に日本橋があって、日本橋というのは、日本の商業的にも文化的にも伝統があるところですから、是非日本橋に寄っていただいて、日本橋の商品を買っていただこう、ということで、日本橋老舗の伊場仙、千疋屋、西川産業の方々が、まず日本橋にある老舗の商品を中国の方々に見てもらおう、ということで上海の豫園という寺か庭園のお土産店が一杯あるところで、ブースを作らせていただき、日本橋の商品の展示会をさせていただきました。
 
上海との交流活動
平成18年に1回目を実施。その時中央区日中友好推進委員会を立ち上げて日本橋の老舗の社長さんたちが中心になりまして、上海に出展してブースを出したのが切っ掛けです。
 
当然、1回目は矢田区長、立石都議も一緒に訪中団に行かれて上海の黄浦区の政府などから会場までパトカーで先導するなど大歓迎をされました。
 
矢田区長も乗り気になっていたが、議会の反対で頓挫している状況。私は立ち上げの時から関わってきたものですから、いろいろ政治的には問題があるとしても、文化的、商業的な交流は絶対必要だということで、やろうじゃないか、といって立ち上がって、1回目から参加をさせていただきまして、昨年は4回目の訪問をさせていただきました。
 
昨年は私が団長をさせていただきまして展示会はやらなかったですけれども、向こうの副区長さんと公式に訪問させていただいて、向こうの役所の人達と夜の晩餐会をして、是非今年は、上海万博もあるので中国の人達が一杯くるので、日本橋の伝統ある良い商品をまた展示会をやったらどうか、というは話をいただきました。出来れば上海万博を機会に中央区とその黄浦区政府が友好姉妹都市が出来れば、ということを考えております。
 
2回目は上海の新世界デパートの社長さんも協力していただいて、住友不動産も一緒に行って、ちょうど日本橋の再開発に併せて中国の飲食店を住友ビルに誘致したいとか、そういう話などがあって帰ってきました。
 
今年、西川委員長が行きたい、ということなので、9月位、上海に行って出来れば区長に、もう一度行っていただいて調印が出来ればいいな、と思っています。
 
政治と友好交流
私のブログとか活動を見ていると、この人、本当に日中友好を進めようとしているのかしら、という誤解をされるかもしれませんけど、政治家として政治活動と文化交流とか、民間の商業交流とかは別だと思ってますし、同じアジアの中で、歴史から見てもどうしてたって日本と中国、日本と韓国とか、切っても切れない話ですから、ましてこれから経済を考えると、たぶん欧米の経済の復活、というのは、そうは急激にV字復活はないでしょうし、中国経済の底力は、まだまだ潜在的にあるんで、日本の経済も立ち直すために中国との交流というのが絶対的に必要だと思っています。
 
政治的にはいろいろあるんでしょうけども、民間交流としてやって行くことは、本当に貴重だし逆に民間交流だからこそ、いろんな民族と民族とか、国民と国民が触れ合わなかったら、行きもしないで韓国を批判出来ないし、中国人がどうのこうのと言えない。
 
私も実際行って見て話をして見て、大部イメージを違うところがいっぱいあるし、中国の中にも変な人もいるし、いい人もいるし、みんな上海に行って帰ってきて、やっぱりまた行こうね、というのが多くの日本人の意見でしたから、今後協会の皆さんとしっかりと交流を進めて行く上で、議会の人達にも是非中国に行くチャンスがあったら一緒に行こうよ、というお誘いをして行きたいな、という今の考えです。
 
老舗のある日本橋
今後、協会としても区としても、たまたま、上海の黄浦区と交流が先に話が出てしまいましたけれども、広い面では中国と日本の関係ですから何らかの形で連携しながら進めていけばなあ、と思っています。
 
日本橋の話に戻りますけれど、日本橋もデパートの三越さんは非常に一生懸命やられているんですが、千疋屋さんのメロンを持って行く事も出来ないし、扇子の伊場仙とかも、なかなかお土産として買っていかれる方は少ない、三井住友カードと連携して日本の銀連カードを作ろうじゃないか、ということで日本橋の主だった店は銀連カードが使えるようになって来ました。
 
私も作りました。パンダの住友VISAカードがくっついてますからクレジット機能がついているという話ですから、この需要がすごくあります。
 
そういう面ではこれから中央区と銀座もそうですし、日本橋もそうですけれど、多くの中国の方がいらっしゃてますし、デパートなんかも逆に、むしろその方々が来ていただけなければ、一時期の好景気はありませんから、景気も悪い中で大変だけれども、中国の方々によって一息ついている、というのが実態みたいです。
 
そういう面で政治の責任としても中国との友好関係をよりよくして、もっと観光客の人達を歓迎できるようなバスターミナルをつくるとか、バスを止められるところをつくるとか、そういうことが行政の役割だな、と考えております。
 
日本橋なんかはバスで来ると、なかなか駐車するスペースがありませんから、バスで降りるところがあれば少し日本橋の町歩きをしていただければ、あ、こういうところもあるんだな、ということで、わかっていただけるんじゃないかな、というふうに思っております。
 
水辺の中央区
4月に常盤橋という日本では一番古い石でできた橋に船着場があります。
 
ちょうど日本銀行の前ですけれど、その船着場から日本橋川を船に乗ってクルーズを企画しております。当然、川から観る日本橋、4月は丁度お花見のシーズンでありますから日本橋を下って隅田川に出て、江東区の方の内部河川に入って横十間川という、亀戸、錦糸町の方に足を延ばして北十間川を曲がるとスカイツリー(新東京タワー)が見える約2時間半コースがありましす。
 
上海のバンド地区も水辺のナイトクルーズが盛んに行われているところですから、そういう面ではあそこのクルーズを見習って日本橋のところにも、間もなく民間の船着場が出来ますから日本橋というところの起点から水辺、川、運河、水運を使って江戸の町を再び観て貰う、というのが新たな観光スポットとして中国の皆さんにも楽しんでいただけるんじゃないかなあ、というふに思っておりますので、是非その先駆けで4月には企画をさせていただきますので、会長さん筆頭にお乗りになっていただければなあ、というふに思っております。
 
私も上海に行った時、足を延ばさせていただいて、東洋のベニスといわれる蘇州に2回行かさせていただいて、本当に水辺、川、水運、運河から船で観る町の風景というのは、洗濯物が干してあったり、生活感たっぷりでありますけれど、水があるということが非常に町の中に景観をつくるには、すごく素晴らしいな、と思いますし、上海のバンド地区なんかも古い昔の水運建築なんかが残されていますから、そういう面では中央区と蘇州だとか上海とか、水辺のあるところは非常に近い関係にありますから、中国の方々にも中央区の日本橋川、隅田川は喜んでいただけるのかなあ、というふに思っております。
 
友好交流をサポート
これからも皆様と一緒に、1人でも多くの中国の人達とお話をして、中華料理を食べながら交流をして、大好きな中国の音楽を聴きながら、やって行きたいなあ、と思っています。
 
私も文化交流を手がけて、インドとも交流しております。この日本橋ホールで、昨年は日印友好文化交流30周年のお祝いで、インドのシタールの演奏会を開かせていただきましたから、是非、今年は先ほどいただいたような中国の歌とか音楽を中央区の皆さんに披露していただける場を協会としてつくられたら、たぶん、もっと一般の方々がそのコンサートを聞きに来て中国を理解する方向があるんじゃないかなあ、と思っておりますので、そういう手助けは一緒にさせていただこう、というように思っております。
 
私が中国と関わって、こういうイメージを持っていたんだけれど、いまは、このように交流を実際に毎年中国に行くほどになっていますよ、というご報告と今後の皆様のご活躍を議会として、しっかりサポートを行う、ということでお話をさせていただきました。
 

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