北東亜細亜共同体論

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街頭デモのない日本は滅びる (2023.06.26)

街頭デモのない日本は滅びる

 

岸田文雄首相は、先週、国会を閉幕した。直前まで、首相は解散風を吹かしていたから、議員諸公の多くは、ホッとしたことだろう。これから長い休暇に入れる、というわけだ。そんなことで、いいのか。

ここには、国会議員の第一の責務は、国会で法律を作ることだ、という思い違いがある。法家出身の議員に多いのだが、それは、独りよがりで浅はかな考えである。

国会議員には、それよりも崇高な使命がある。それは、日本の政治を良くすることであり、日本の社会を良くすることである。国会議員が、政治家としての誇りを保ちたいのなら、それこそが、究極の責務であることを、銘記すべきである。

それは、国会外でもできるし、だから、閉会中でもできる。それを怠る議員は、侮られてもしかたがない。

政治家としての国会議員の第一の責務は、多くの国民の政治要求を実現することなのである。そのための、国会での立法である。

ここで言いたいことは、それだけではない。政治は国会で行うべきもので、国会外でとやかく言うべきものではない、という政治思想を批判したい。

 

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ここで取り上げたいことは、国会外での多くの国民の政治要求を実現するための運動を、軽視する政治思想についてである。日本では、与党だけでなく、ほとんど全ての野党が、この思想に毒されている。

だがこれは、事実に基づく政治科学としてみたとき、科学的でない。事実から遊離している。暇人の無責任で似非哲学的な寝言なら看過できるが、現役の政治家の思想としては看過できない。

政治の事実をみてみよう。

TVや新聞をみていると、日本以外の各国では、各国とも政治を動かしているのは、国民が行っている政治要求のための街頭運動であることが分かる。大勢の若者が街頭に出て先頭に立ち、大声で政治に要求し、要求を大きく書いた幕を掲げて、街ゆく人々の賛同を求めている。それが政治を動かす原動力になっている。

各国では、人民の中へ、という政治思想が、いまも息づいているようだ。科学に基づいているから、いまも連綿と引き継がれているのだろう。

このように、政治を動かしているのは、街頭デモである。議会での議論ではない。議会の議論は、それを反映しているに過ぎない。まして、立法などは、その先のことである。それを確定するだけのもの、ともいえる。繰り返そう。政治の原動力は、街頭デモである。TVや新聞は、毎日のように、このことを実証している。

この認識が、いまの日本にはない。

これは、日本の国民性か。そうではない。

以前は、そうではなかった。若い労働者や農業者を先頭にした、連日の街頭デモで、首相を辞任に追い込んだことがあった。安保闘争のころである。

表題に、日本は滅びる、と書いたが、それは誇張ではない。

論理を省略し、飛躍させて言えば、街頭デモがないという日本の政治運動の沈滞が、支配層の緊張感を弛緩させ、社会全体の緊張感を失わせている。それは、政治科学の目でみて、必然的な帰結である。

こうした国に未来はない。生産の現場に根を張っている野党がない国、だから街頭デモができない国、そんな日本に、未来はない。

非力な労働貴族に媚を売るだけの野党、浮草のような市民との共同などといっている野党、そうした野党しかない日本に、未来はない。未来に待っているのは、滅び、しかない。

(2023.06.26 JAcom  から転載)

 

 

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