「需要に応じた生産」から食糧安保へ
●食糧安保政策は農政の錦の御旗
政府は、「需要に応じた生産」というキャッチフレーズを、コメ政策の中心に位置付けようとしている。需要が神様で生産は下僕だ、という意味にとれる。そうだとすれば、この政策は民主主義の世の中にあって、悪の権化の政策である。需要は、神様ほどに無誤謬ではない。しばしば誤りを犯す。
あるいは、この誤りを政治が利用して、農政の失敗の責任を需要に押し付けようとする、狡猾な魂胆かも知れない。
こうした誤解を解くには、政治は需要を神様と考えないこと、政治に支配されるべきもの、と位置付けることが必要である。
そのための錦の御旗になるのが、食糧安保である。食糧は、第3の武器と言われている。これを失えば、国家として存立できなくなる。
●荒れ狂う世界の中で
いま、欧州や中東で、武力を使った究極の暴力が猛威を振るっている。第3次世界大戦が始まった、という論者さえもいる。
こうした中にあって、第1の武器の武力が、世界中で荒れ狂っている。
第2の武器のエネルギーの争奪も始まった。
次は食糧が第3の武器として、やがて登場するのだろうか。それに、備えておかねばならない。今こそ食糧安保政策を錦の御旗にして、高く掲げねばならない。
●食糧安保のための備蓄制度は全く未整備
食糧安保は、錦の御旗に掲げるだけでは、不十分だ。掲げるだけでは、相手に見透かされる。実行力を備えておかねばならない。そうすれば、需要を神様と信じている市場原理主義農政論者は、すごすごと尻尾を巻いて逃げて行くだろう。
実行力を備える、ということは何のことか。法治国家なら、それは、その為の法令と制度を整備することである。
法令をみると、農政の憲法といわれる農基法では、すでに整備されている。その第1条の目的に、「この法律は、・・・食料安全保障の確保等の基本理念及びその実現を図る…」と書いてある。そして、食糧安保の方法として第2条に書いてあるのは、「国内生産の増大」と「備蓄の確保」である。
このように法令は、すでに整備されている。だから、あとは実行のための制度の整備があるのみである。しかし、制度は全く不十分である。実行までには、ほど遠い。
以下で、備蓄の状況を見てみよう。
●備蓄は17日分しかない
下の図は、備蓄の状況を示したものである。
この図は、今度の米価高騰が始まる直前の備蓄量と、最近の資料で見た昨年11月の備蓄量とを比較したものである。その後、先週に買い増しの入札をしたが、まだ実際に備蓄量が増えたわけではない。
この図を見ると、備蓄量は、米価高騰を抑えるための放出によって、96万トンから32万トンに減ったことが分かる。32万トンといえば、17日分の消費量にもならない。備蓄量を大巾に積み増す計画も無い。これでは、とうてい食糧安保を重視しているとは言えない。
ここに、食糧安保の軽視が象徴的に表れている。農基法を、全く無視している。そしてここに、国民のコメ政策に対する不信の根源がある。
今こそ政治は、農政の憲法といわれる農基法に従って、「食料安全保障の確保」のために、「国内生産の増大」と「備蓄の確保」を実行しなければならない。
. (2026.04.20)