首相選挙で見せた一部の野党の醜さ
政治の混沌が続いいている。7月の参院選は終わって、その結果は、与党の半数割れだった。自民党の石破 茂総裁は、その責任をとって、高市早苗氏に交代した。
次は首相選挙だが、参院選が終わってから3か月経つのに、衆議院の与党も半数割れなので、なかなか首相が決められなかった。与党と一部の野党の醜いかけ引きが続いていたからである。しかし、与党が老練さを発揮して、ようやく明日には首相が決まるようだ。
7月の参院選も、去年の衆院選も、その結果は、与党の半数割れだったが、これが意味することは、過半の国民の政権交代の要求だったのである。だが、一部の野党の醜い争いで、政権交代は絶望的になった。
いったい、国民の要求に反して政権交代を妨害した野党は、何党だったか。それを報道機関もいっしょになって隠蔽していた。
野党が大同団結して、政権交代を要求しなかった理由は、野党の間で基本政策の一致がないからだ、という。
ここで彼らがいう基本政策とは、いったい何のことか。集団自衛権を容認するか否か、原発の再稼働を認めるか否か、これらだという。
だが、これらについて、選挙戦で論争したことがあるか。否である。野党は、政権を奪取して何をしたいのか。その論争はなかった。
基本政策を隠蔽して、税金を僅かばかり下げるか否か、とか、僅かなカネをばら撒くか否か、とか、せいぜい企業団体献金を禁止するか否か、を争点にした選挙だった。つまり、わが党が政権をとれば、今夜の食事でどれほど満腹になるか、という目先の浅薄な争いだった。明日はどうなってもいい、というものだった。
このように、彼らは、彼らがいう基本政策さえも隠蔽し、その論争は、ほとんど行わなかった。そうして、選挙が終わった今になって、基本政策が云々と言っていた。そう言って、政権交代を妨害し、醜い党利党略にふけっていた。国民の過半が、衆院選と参院選で要求した政権交代の要求を無視して、である。
各党の間で競うべき、真の基本政策は何だったか。政権交代して、どんな政治にしたかったのか。それは、「失われた30年」からの脱出ではなかったのか。
先週に発表されたIMFの予測によれば、来年の日本のGDPは、インドに追い越されて第5番目に転落するという。5年後には英国にも越されて第6番目になるという。
こうした状況にあるにもかかわらず、各党は目を覚ますことがない。失われた30年から脱出するための論争をするでもなく、無気力な惰眠を貪っているように見える。
だが、これは無害な惰眠ではない。そのように装っているのである。その一方で、見苦しい権力闘争に耽っている。
それは、惰眠を装って、失われた30年の政治を今後も続けようとしているのである。
そうしている間に資本家は、農業者の所得と労働者の賃金を抑えつけて、暴利を貯め込んで、マネーゲームに耽っている。
そうしている間に政治家は、資本家の意向を忖度して、隙があれば憲法を改悪して軍備を拡大し、自衛隊を海外へ派遣して戦わせ、また、原発を再起動して、農業者と労働者を、子や孫の世代まで生命の危険に曝そうとしている。
こうした中で、労働者の代表を名乗る一部の野党さえも、資本家に媚びを売り、惰眠を装っている。政権交代をしようともせず、失われた30年の政治を今後も続けようとして、目をつむっている。
昨年10月の衆院選と今年7月の参院選は、農業者と労働者が、資本家のこうした企みと、それを実行する与党にNOを突き付けたものである。
野党の政治家は、この国民の要求に応えねばならない。
何をなすべきか。
それは、農業者の所得確保のための農協運動と、労働者の賃上げのための労働運動の先頭に立つことである。そうして、資本家が貯め込んだカネを、所得増と賃上げで高くなったコストを削減するための技術革新に投下せざるを得ない状態に追い込むことである。
これこそが、古今東西の経済発展の常道である。そうして、失われた30年から一刻も早く脱出する本道である。
そのために政治が為すべきことは、志のある政党が小異を捨て、大同団結して政治を転換することである。そして、それを妨害する与野党の政治家の面々を、政治の世界から追放することである。
.(2025.10.20 JAcom から転載)